吉岡里帆さんは、映像会社を経営していたカメラマンの父親、母や祖母の影響で、幼少期から映画や演劇、落語、日本舞踊、歌舞伎、能といった芸術文化に親しんでいたそうです。
太秦の撮影所の近くに住んでいたこともあり高校3年時、アルバイト先でエキストラに抜擢され、その事がきっかけで映画作りに興味を抱くことに。
その後、2013年11月から芸能活動をスタートします。
2016年のNHK連続テレビ小説「あさが来た」で脚光を浴び、同年に結婚情報誌「ゼクシィ」の9代目CMガールに選ばれます。
その後、ドラマや映画、CMなど多方面で活躍。
今回は、吉岡里帆さんの学歴を紹介していきます。
吉岡里帆の学歴は?
京都府京都市の出身の吉岡里帆さんは、小学校から大学の途中まで地元の学校、その後関東圏の大学を卒業。
出展元:サンスポ
それでは、吉岡里帆さんの学歴を紹介していきましょう。
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吉岡里帆の出身大学は?
出展元:Wikipedia
吉岡里帆さんは、京都橘大学に進学しています。
学校名 | 京都橘大学 |
学科コース | 国際英語学部、文学部、発達教育学部、総合心理学部、経済学部、経営学部、工学部、看護学部、健康科学部 |
偏差値 | 40~52.5 |
住所 | 京都府京都市山科区大宅山田34 |
最寄り駅 | 椥辻駅(なぎつじえき) |
公式HP | 京都橘大学 |
吉岡里帆さん幼少の頃かの夢であった「書道家」を目指すために書道コースに進んでいます。
書道コースは1学年約20人ほどで、関西の書道界の大家などが指導し少数精鋭の授業が行われます。
京都橘大学は昔から書道の指導で定評のあり、いつの時点で認定されたかわかりませんが、書道八段の腕前がある吉岡里帆さんには打ってつけの大学と言えるでしょう。
吉岡里帆さんですが、大学に進学したものの演劇への想いが募り、大学1年生の時には友人に誘われ小劇場の舞台で演技し、自主制作の映画のにも参加。
さらに、京都に在住しながら東京に演技のレッスンに通っていました。
吉岡里帆さんは当時の心境を、
それはすごくシンプルな理由なんです。やっぱりどのテレビ観ても、どの映画館に行っても、東京で作られているものばかり。京都のエキストラも続けてたんですけど、やっぱり東京いかないとだめだなという感じはすごくあって。
出典元:文春オンライン
と、語っています。
そして、居酒屋やカフェ、歯科助手などのアルバイトを掛け持ちし費用を捻出していました。
吉岡里帆さんですが、22歳の頃に女優を目指して上京していますが、資金を貯めるため1年間、滋賀県の大津市にある大津プリンスホテルでアルバイトをしていたそうです。
配膳やクロークなどの接客業務をおこなっていたそうです。
吉岡里帆さんですが、大学卒業に5年以上かかっています。
上京後の転学先は、書道で有名な大東文化大学とする情報もあります。
しかし、吉岡里帆さんが上京を決意した時点で、書道家になることを諦めているので可能性が高いので可能性は低いと考えられます。
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吉岡里帆の出身高校は?
出展元:Wikipedia
吉岡里帆さんは、嵯峨野高校の出身です。
学校名 | 嵯峨野高校 |
学科コース | 普通科、京都こすもす科 |
偏差値 | 66 |
住所 | 京都府京都市右京区常盤段ノ上町15-15 |
最寄り駅 | 常盤駅 |
公式HP | 嵯峨野高校 |
嵯峨野高校は1950年開校で、府内で有数の進学校として知られ、難関大学に進学する卒業生が多くいます。
吉岡里帆さんですが、高校時代は友達に誘われて軽音楽部に入部。
「さくらん」というガールズバンドを組んでアルトサックスを担当していたそうです。
しかし、バンドは上手く機能しなかったようで、
私、実は高校1年のときかな。クラスの女の子に「軽音楽部、一緒にやろう」って誘われて。蜷川実花さんの『さくらん』って映画があって、「すごい好き!」って話をしていたんです。ちょっと和風で、イケテル曲みたいなのができたらいいねって。丸パクリで「さくらん」ってグループ名で1回メンバーになったことがあるの。ちなみに中学のときに、アルトサックスを吹いていて、「里帆はアルトサックス吹いてくれたらいい」って言われていて(笑)。そこからまったく活動しなかったです。
出典元:J-WAVE
その後、ソフトボール部のマネージャーになっていますが、短期間で辞めています。
高校時代は勉強漬けの毎日だったようで、1時限前から国語や英語に取り組んだり、放課後になると大学進学のための特別授業に参加していたそうです。
そんな学生生活についてインタビューで、
「勉強をするのは自分のため。それは分かっていたのですが……」。勉強漬けの毎日に息苦しさを感じていた。「大学に進学する以上の目標が見つからなくて。自分は何に向かって勉強すればよいのか苦しみ、悩みました」
出典元:高校生新聞
と、当時を語っていますがその日々を支えてくれたのは、現在も交流のある同級生の存在。
「考え方や感性もそれぞれ違う友人たち。私の悩みを聞いても『そんなの全然へっちゃらだよ』なんてあっけらかんと言う子もいました。でも私は、その言葉で心がだいぶ軽くなりました」
出典元:高校生新聞
と、語っています。
吉岡里帆さんですが、実は高校2年生の時の修学旅行に行きそびれています。
「その高校の最大のメリットだと思ってて、海外に行ったことがなかったのでめっちゃ楽しみにしてて、クラスの実行委員にも入って、どこ行くか自分でセレクトしちゃったりして浮き足立った生徒だった」と修学旅行を心底、楽しみにしていたという。
ところが、出発前日にカバンチェックをした際、パスポートがないことが判明。「4泊5日の旅だったんですけど、“絶対2日目でも3日目でも行くから”って友だち、先生に言ったんですけど、家中全部ひっくり返したけど出てこなくて行けなかった…」
出典元:スポニチ
と、行かないうえに1カ月ぐらいは修学旅行の話になり、
「帰ってきてからが地獄なんです。それから1カ月ぐらいは修学旅行の話で盛り上がるんです。“あー、里帆行けてない、ゴメン”みたいに言われて…。“また喋っちゃった。行ってないんだよね、ゴメンネ”って」
出典元:スポニチ
と、高校時代の苦しい過去を語っていました。
そして、映画の撮影で知られる太秦に実家があり女優を志すきっかけとなった、2012の映画「天地明察」に高校3年生の時にエキストラとして参加することになりました。
その時に知り合った映画監督志望の、同志社大学の演劇部の部員に誘われて見たつかこうへいさんの舞台「銀ちゃんが逝く」、「蒲田行進曲」に感激し、女優という職業に憧れを持つようになります。
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吉岡里帆の出身中学校は?
出展元:スタディピア
吉岡里帆さんは、京都市立嵯峨中学校の出身です。
学校名 | 京都市立嵯峨中学校 |
学科コース | – |
偏差値 | – |
住所 | 京都府京都市右京区嵯峨新宮町63-2 |
最寄り駅 | 嵯峨嵐山駅 |
公式HP | 京都市立嵯峨中学校 |
吉岡里帆さんですが、中学時代に2004年の映画「スイングガールズ」を見たことがきっかけで吹奏楽部に入部し、アルトサックスを担当していました。
中学校時代は恋愛バラエティー番組「あいのり」をよく見ていて、学校でも盛り上がっていたそうです。
当時、ドラマも大好きで、「ケイゾク」や「HIRO」などを観ていたそうです。
ちなみに、15歳の時に彼氏ができたことをバラエティー番組「ダウンタウンなう」に出演した際に語っています。
吉岡里帆の出身小学校は?
出展元:スタディピア
吉岡里帆さんは、京都市立広沢小学校の出身です。
学校名 | 京都市立広沢小学校 |
学科コース | – |
偏差値 | – |
住所 | 京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町25 |
最寄り駅 | 鹿王院駅(ろくおういんえき) |
公式HP | 京都市立広沢小学校 |
吉岡里帆さんは、小学校2年生の時から書道をはじめていて、夢はプロの書道家になることでした。
子供の頃はあまり体が強くなく、おとなしい女の子だったそうです。
ちなみに、吉岡里帆さんですが、お笑いコンビ「ネイビーズアフロ」のはじりさんと幼稚園が同じでしたが小学校が別々に。
しかし、なんと吉岡里帆さんが小学3年生の時に「ネイビーズアフロ」のはじりさんの家まで行って、バレンタインデーのチョコレートを渡したそうです。
吉岡里帆さんは幼稚園時代にはじりさんに恋をしていて、そのことが忘れられずに住所を調べて、手紙を添えて「ずっと好きでした」と告白をしたそうです。
吉岡里帆さんの父親は映像会社を経営していたこともあり忙しく、
うちは父親がすごく忙しい人だったので、土日にディズニーランドに行くとか温泉に行くとか、そういう休日があまり過ごせなかったんです。その代わり、夜にお父さんが帰ってきたら一緒に『金曜ロードショー』や『ゴールデン洋画劇場』を観たり、ドラマ観たりするのが、家族で過ごす大切な時間だったんです。家族ってもちろん世代はバラバラだけど、それでも一緒に楽しめるからいいですよね。家族が仲良くいられるためのツールだったかもしれないです。
出典元:文春オンライン
と、両親の共通の趣味がガーデニングで庭の手入れが行き届いていて、家族でバーベキューをすることもあるそうです。
ちなみに、吉岡里帆さんは猫好きで知られていますが、実家で15匹も飼っていた時期もあったそうです。
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吉岡里帆の卒アルは?
出展元:X
吉岡里帆さんの卒アルは見つかりませんでしが、学生時代に既にオーラが違いますね♪
まとめ
今回は、吉岡里帆さんの学歴を紹介していきました。
学業も優秀で、綺麗で演技も上手いなんで、天は二物を与えてしまったようです。